こんにちは、Megです。
私は大学生の時にもバンクーバーに短期留学をしていたのですが、その際に大変お世話になったレストランがあります。今回はいつかブログに書こうと思っていた、そのレストランについてのお話です。
パスポート紛失事件
今から10年前、当時大学生の私はノースバンクーバーにホームステイをしていました。到着して2日目の外出中、こともあろうにパスポートを紛失してしまったのです。
どこかで落としたのか、はたまた盗まれたのか、全く心当たりのない状態でしたが、数日後にバンクーバーの日本領事館に届いていると連絡がありました。
学校帰りに領事館に行き、パスポートを受け取ると、『拾った方が実費で送ってくれているから、お礼を言いに行った方がいいよ』と職員の方に言われました。
拾った方の住所を検索してみると、ノースバンクーバーにあるレストランでした。食事をした覚えはないももの、その付近でバスの乗り換えを間違えたことに気付き、急いで降りた記憶がありました。おそらくその時に落としたのだろうと思います。
初めての訪問
渡航数日後でまともに英語も話せないのに、緊張しながらレストランを訪ねたことを覚えています。夕方だったので営業はしておらず、お客さんは誰もいない状態でした。
領事館に私のパスポートを送ってくれたのは、こちらのレストランのシェフでした。事情を説明するとすぐにパスポートの件とわかったようで、とても優しく声を掛けてくれました。そして、ゆっくりしていきなと紅茶とマドレーヌまでいただいてしまいました。
落し物が持ち主に返ってくるのは日本だけと思っていたので、カナダの治安の良さを身をもって体験した出来事でした。それも日本の最強パスポートなんて、返ってこなくてもおかしくなかったと思います。
お礼を伝えに行ったのに、とても親切なシェフにごちそうになってしまい、ありがたくも申し訳ない気持ちになりました。バンクーバーには2ヶ月の滞在だったので、帰国するまでに食事をしに行こうと決めました。
バケットリスト
その後友人とランチをいただきに再訪しました。その際もすごくよく接して下さって、『帰国前にもう一度いらっしゃい、その時は連絡してね。』と名刺を渡されました。帰国の一週間ほど前、緊張しながら電話をしてアポを取り、学校帰りにレストランに伺いました。
シェフと顔を合わせるのはこの2ヶ月で3度目。『お腹すいてる?』といきなり料理を出して下さり、お土産までいただいてしまいました。
これを最後に帰国してからシェフとは連絡がとれず、『いつかもっと英語が流暢になったら、改めてお礼を言いたい』というのが、私のバケットリストのひとつになっていました。
10年ぶりの再会
co-opでバンクーバーに1年も滞在していたのに、その間はどうしてもシェフの元へ伺うことができずにいました。英語力にもコミュニケーション力にも自信がなく、もっと自信がついたらと予定を先延ばしにしていました。
そこから半年後、帰国前にやり残したことをやろうと、ついに伺うことに決めました。母とバンクーバー旅行をした際、ブランチをいただきに訪問しました。
以前と同じ形のスキレットが使われていたのは、なんとも懐かしくて、感慨深かったです。
もう10年前のことだからシェフは覚えていないかもしれないと、事の経緯を説明できるように英語を頭の中で組み立てていたものの、そんな心配は要りませんでした。
シェフは私のことを覚えていてくれたどころか、『最近同僚に君の話をしたところなんだよ、この子が話していた子だよ!』と隣にいた方に私を紹介してくれました。嬉しいやら恥ずかしいやら…(泣)
しばらくぶりにシェフと直接話せて、10年分の気持ちが解き放たれた感じがしました。カナダでやり残したことはたくさんあるけれど、これだけは達成できて本当に良かったです!
もしパスポートを紛失したら…
これを読んでくださっている方は私のようなドジではないと思いますが、万が一に備えて紛失時の手順を調べておいても良いかもしれません。
参考▼パスポートを紛失した場合 | 在バンクーバー日本国総領事館 (emb-japan.go.jp)
私は紛失してすぐにホストマザー経由でエージェントに連絡を取ってもらい、エージェントから日本語で指示を受けました。ホストマザーに警察へ連れていってもらって、日本にいる家族には戸籍の手配をお願いし、新しい証明写真を撮るところまで手続きを進めていました。
帰国までにパスポートを再発行する時間的な余裕はあったのですが、不安でいっぱいな毎日を過ごしていました。慣れない生活とも相まってとにかくメンタルがやられ、体調不良にもなりました。その時にパスポートが見つかったと連絡が入り、安心してそこから学校生活にも余裕が出てきました。
まとめ
以上、大学生の時にお世話になったレストランへ、10年ぶりに再訪したお話でした。
シェフは変わらず温かくて、『お店を覚えていてくれて、また来てくれて嬉しい』と伝えてくれました。私と母にまでハグをしてくれて、心温まる再会でした。
こちらのレストランの存在がなければ、この話は私の黒歴史のままで、海外生活がトラウマになっていたかもしれません。シェフをはじめ留学中たくさんの人に助けられたこと、今でもとても感謝しています。